土台を固めないと建物はいつまでたってもグラグラ

私もどちらかというと、「土台も固めずに建物を建てようとする」タイプではあります。
なんか適当にそれらしくやる、てのが意外に得意。けれど、やはり行き詰まる。


土台が固まっていないと、いくら上に積み上げても崩れてしまいます。
それらしく、はなる。一時的に格好がついたりもする。でもやはり安心して建設を続けていけないし、なにより非効率。なかなか進みません。 

てことで、英語学習の初心者も、ある程度「建ててしまった」方も、今一度「土台」を見直しましょう。 

でも、英会話の土台、って、なに?文法知識? 語彙力?


はい、文法知識も語彙力も土台の一部ではあります。
でもそれよりも先に、「音声」について知り、慣れていくことが大事です。
日本語と英語の音は違う。

それを分かっていないと会話はできないのです。
会話だけではなく、スムースに読んだり書いたりすることにも繋がります。 
それはある意味当たり前ですよね?なに当たり前のこと言っちゃってんの?と思いましたか?


でも、かなり多くの日本人が、実はまだ本当の英語の音の認識を十分にしていないまま、
「自分で英語の音だと信じているもの」に頼って学習しようとしています。
それで、英語は聞き取れない、とか言う。そして文を作って発話ことも思うようにいかない。


たぶん最近の子どもたちはこの点はかなりマシになっているのでしょう。
教育現場にもネイティブスピーカーがアシスタントとして入るし、入試などでも音声問題が出るのだし。
それでも、私が接する小中高生のほとんどが、やっぱり英語の音をちゃんとは分かっていません。
分かっている子は「できる」子だけど、苦労している子は例外なくまず発音がダメです。
旧型の教育を受けてきた大人はかなり全体的にダメですね。
高学歴だったり、入試用英語の成績はよかったという人でもそうです(かつての私のように)。 

ネイティブ並みでなくても、やはりネイティブと似た発音とリズム(←これが最重要)を身につけないと、なかなか上達しないのです。


私は実は運転免許も持ってないんですが、それでも、学科の教習を受けただけで車が運転出来るわけない(よほど勘のいい人ならともかく)と思います。そうですよね? またはスポーツに例えてもいいですが、教科書でやり方やルールを学ぶだけですぐに試合で勝ったりしない。実践練習が必要だし、その前には基礎練習も必要。プレイの癖や個性はあれど、最初はお手本を真似てやってみるはずです。
 
なのに英語となると、なぜお手本を真似てみようと思わないのか。
思ったとしても中途半端なのか。
理屈が先に立とうとするのはなぜなのか。

理屈は後から付いてきます。というか補助的に使うものです。
まずは音声のなんたるかを理解して、幼児でないのならただ真似るのも難しい(幼児は誰でもその点で天才です)から少しは理屈の補助も借りつつ、ひたすら真似て発音してみる。
単語ではなく文をね。

なぜならば 「リズムがイノチ」だから。

リズムの大切さについては別項で述べますが、とにかく、土台を先ず(ある程度でも)固めないと、その上に何を構築しようとしても恐ろしく不安定で非効率であるということ、そして英語学習においては「音声」こそがその土台だ、ということは理解されたでしょうか。 

「理解」と「トレーニング」の両方が必要

幼児は天才で、あらゆることをすごいスピードで吸収して成長していきます。母国語もそうやって、大人の言葉を真似ながら習得していく。そんなに苦労した覚えもなく。でも大人は、いや小学生ぐらいでももうそうだと思うけど、もうそこまで天才じゃない人がほとんどでしょう(例外はいるでしょうが)。

幼児は耳で聞いた発音やリズムをそのまま真似できる。どうやって発音するのかとか考えたりしない。耳で聞いたこの音を出すのに、こういう口の形でこういう発声で、と考えなくても真似できる(もちろん筋肉など物理的発達の未熟さで完璧ではないにせよ)。でも成長すると、母国語の発音が既に頭にも口にも食い込みすぎて、分からなくなる。

例えば [ð] (this) や [θ] (thank)のような日本語にない発音は、どうやって発音するのか分からないどころか、聞いても聞き取れなくなってしまうのです。というか、発音できないから聞き取れないんですが。

しかたないので、「発音の仕方」を理屈で学んで、それからそれをトレーニングする必要があります。

ネイティブみたいにかっこよく話せなくたっていいじゃん? 日本語発音で何が悪い!
世界でもけっこう訛った英語話してる人は多いじゃん!

……と言いたい人もいるかと思いますが、日本語発音ではとりあえずダメなのです。

理由の一つは、上にも書いたように、発音できない音は聞き取れない(正体不明!)からです。

数字の3は英語で?
スリー?

ま、カタカナではそう書くしかないですが、もちろんご存知のように、[θ]の発音を含んでいます([θri:])。もっと言えば、[r]の発音も日本語にない音だし、それら2つの子音の間に母音が入っていないことも日本語にはないこと。(詳しくは「発音のヒミツ」coming soonにて)

つまり、誰でも知ってるつもりの「3」は、とてつもなく難しい単語。
実際、リスニングの課題などやっても、初心者はほとんど聞き取れません。知ってるはずの単語なのに! 
……ようするに、本当は「知らない」んですよこの単語を。

ともあれ、聞き取れないし、どうやって発音するのかも分からない。
いや、もちろん学校で習います。けど、きちんと練習する人は多くないです。
いい加減な発音でいいと思ってる。発音がダメだとダメな理由のもうひとつは次項にて。

幼児ではない限り、どうやって発音するのかを知識として知り、それを「身につける」べく、ある程度の意識的なトレーニングをしなければなりません。個々の発音だけでなく、リズムもね。

具体的なトレーニング方法は別項(coming soon)にて。

(個々の発音については、トレーニングすべき発音はそう多くはないのでご安心を“

世界を歩くには地図も必要

知識とトレーニングの両方が必要、というのは発音やリズムに関することだけではありません。
文法もまた必要。

ここでもまた、幼児はいいのです。驚異の記憶力があるだけでなく、幼児の世界は大人に比べてとても小さいから。とにかく自分の身の回りのことについて、大人の真似をしながら学んでいくだけでとりあえずは事足りる。そうやって自分の周りから学んでいって、だんだんに世界が広がってくるにつれて言語世界も広がり、結果として自分が実際に知らない世界のことすら言語を介して知ることができるようになる。


でも大人になってから外国語として学び始めるとそうはいきません。すでに広大な世界を知ってしまっているけれど、それを表すすべが圧倒的に足りない。じれったいことこの上ないです。
でも大人には、知識や理性を使うというアドバンテージがあるのです。それが文法。


文法というとアレルギー反応を起こしてしまう人がたくさんいるかもしれませんが、文法はありがたいものなのですよ。地図もなしに、知らない街に放り込まれたら大変ですが、外国語学習という世界では、文法の知識が地図となってくれます。
とはいえ、ただ座って地図を見ているだけでは使いこなせるようにはなりません。地図をもって歩かなければ!

幼児のように、まずは今いる身の回りから探り始めて、だんだん遠くまで。基本が分かれば、あとはちょっとぐらい間違えたってどうにかなるでしょう。そんなに難しいことではないのです。いつでも、「原理」さえ分かれば応用は効く。応用例ばかり一生懸命覚えようとしても無理ですが、基本を少しアレンジするのだと思えばハードルは高くない。


最初につまづくといつまでもつまづき続けてしまうので、ここでもやはり「土台」は大切。
残念ながら、つまづき続けてわけわからなくなった!ここはどこ?私はだれ?的な人もけっこういます。そういうときは「振り出しに戻る」がかえって効率が良かったりします。しつこいようですが、土台を固めるために原点に戻っていきましょう。中学1年生で習った文法的事項も、実は多くの人が誤解しっぱなしなんですよ。詳しくは「目からうろこの文法」 にて!

みんな自分を天才と思っている?

以下 Coming soon 工事中ばかりですみません。順次書いていきますが、もし「この項目早く読みたい!」というご要望があればぜひ、お問い合わせページからお気軽にリクエストしてくださいね。